合わせ鏡

最近、今までとは逆のことが、フト頭を過ぎる場合があります。

本当に「外界=内面」なのだろうか。。。。。

この「外界=内面」を突き詰めていくと、全ては幻想という考えになってしまいます。
友人、知人、家族、コメントをくれる人、、、、果ては自分の肉体さえもです(笑)。

例えば、目の前にいる人も自分にあることを気づかせてくれる単なるデータ集に過ぎなくなってしまいます。パラレルワールドを信奉するには非常に好都合なのですが(笑)、人間型ゲシュタルトから逃れられない今の身からは、どうしてもこうは感じられないのです。頭では分かったつもりでいるのですが、、、、

この件について、R・レナードはこう言っています。

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「この世は幻想である」と考えるだけでは足りません。
この世が幻想なら、自分も幻想であり、空虚であり、意味がないと考えるようになってしまいます。

自分は神の一部であるという考え方も違っています。
一部ではなくて、全てです。
源と一つである自分以外に誰かが居る訳ではないのです。

人間は、この世界の秩序を超えた存在であり、あらゆる限界を超えた存在です。
時空に入り切らないくらい大きな存在、それが人間なのです。
他人をそう考えられれば、自分のことも、そう考えられるようになります。


(「聖霊の体験に至る方法」から抜粋-惑星超越人格-)
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この「自分は神の全てです」という点がAICMを学んだ人の共通点なのですが、こういう考えが尊大な態度を産み、違和感を感じさせるという指摘もあります(爆)。まぁ、気が弱く繊細で、硬派かつ純情可憐なヤッズ★には、このぐらい尊大な態度を付加したぐらいが丁度よいのかもしれませんが、、、、、(爆)。

しかし、ACIMでは他者もを「神」として見るべきだといいます。この視点は新鮮です。ヤッズ★は「変換人型ゲシュタルト」を表面的な理解しか出来ていなかったかもしれませんが、自分の肉体を含め、他者や事物を単なるデータではないのか?と考えていました。まぁ、脳内に映る映像限定でみれば正しいことなのですが、、、、、

他者をそう思うと自分もそのようになるという点は、腑に落ちましたね。

他者をデータと見なせば、自分もデータ化する。
しかし、他者を「神」と見なせば、自分も「神」化する。

「鏡の法則」を知っていながら、トンだ誤りをしていたようです。
これが「人間型ゲシュタルト」が為せる業なのでしょうか!(汗)

逆もまた真なりです。
自分がそうなりたいと思えば思うほど、他者がそのようになっていく。。。。。
こんな経験ありませんか?(爆)

自分をそうしたいなら、まず他者からです。
これは「タライの水」の法則、「他自実現」でもありますね。

これは「あるヨギ」のパラマハンサ・ヨガナンダがいう「したいと思うことはするな そうすれば 自由にしたいことが出来る」と通じる部分があるかな~♪

エイブラハムに聞いたところ、こう回答が来ました。


彼女をお姫様扱いしてやれ
そうすれば 自分がお姫様になれる

(エイブラハム・ヤッズ★)



しっかし、他者を「神を思え」といいながら、レナードは今度はこう言っているのです。

「源と一つである自分以外に誰かが居る訳ではない」


やはり、他者はいないのか、、、、、
突き詰めて言えば、他者というデータを「神と思え」ということでしょうか???
まだまだ、ヤッズ★は分離して考える「人間型ゲシュタルト」から逃れられていないようです。

それはそうと、この言い回しで気に掛かる点があります。

それは、、、、「自分」という用語の定義です。

この文章の場合の「自分」とは、普通言われる「自我単位で区分化した個人」を指すのか? 貴方も、彼も、彼女も、、、、全ての人類、物体までも統合した神状態である「大いなる自分」を指すのか?、、、、、、分けワカメなのです。

普通に読むのなら前者の「個々人」になるのですが、こうなると「他人は存在しない」となります。つまり、この物質世界は自分一人しかいないということになり、貴方も、彼も、彼女も、、、、、全部、データに過ぎないということになるのです。

一方、後者の「大いなる自分」とするならば、まぁ、普通かな~って感じです。単に括りを大きくしただけのことで、別段、目から鱗が落ちることもないし、言葉のレトリックに過ぎないだけのことです。表面的には分離して見えるが全人類は根っこのところで皆が繋がっているという、スピによくある「無意識層の共有化」(=集団的無意識)という話に落ち着いてしまうのです。

まぁ、無意識層=【本当の自分】なので、別段、後者でもいいわけですが(爆)。
でも、なんとなく釈然としません。

単にヤッズ★が期待し過ぎなだけなのか、、、、、、

今後、この辺はもっと深く追求したいところです。
やはり、「神の使者」や「ACIM」(奇跡の講座)を読まないことには先に進まないかな、、、、、

では、ここで少し方向を変えて、過去の偉大な聖者はこの件についてどのように考えているかを考えてみたいと思います。ACIMはキリスト教系の匂いがプンプンしますので、これとは異なる方面の聖者をピップアップしますね。

最初に釈迦です。
(っていうか、釈迦しか書きませんが、、、、爆)

釈迦は菩提樹での瞑想で「悟り」を得たといいますが、この瞑想中にこの世の実相が分かったからこそ「悟り」を得たのです。ですから、その時何を見たのかが一番のポイントとなりますね。

一般的な仏教解説では、釈迦は6年間の生死の境を彷徨うような苦行を通しても「悟り」を得られず、ネーランジャー河の畔で沐浴して疲れ切った体を休めていた時、スジャータが差し出した「乳粥」を貰った後、菩提樹の下で瞑想をして「悟り」を得たと言われています。

五井野博士の説では、上の内容に付加してスジャータが差し出した「乳粥」を貰うその刹那、スジャータの目を見た際に、スジャータの瞳の奥に何かを観じ、それが何かを知るために菩提樹の下で深い瞑想をして、帝釈天や梵天と出会い、自分がどこから来てどこへ行くのかを知り「悟り」を得たという法華経的解釈をしています。

五井野説の驚愕な点は、前13世紀にアーリア人がインドに侵攻して先住民族ドラヴィダ人を支配下に置いた為、王族の出である釈迦は間違いなくアーリア人(白人)であるという箇所です。

釈迦はアーリア人であるため出家後はもっぱら支配階級の宗教であるバラモン(=ブラフマン)教的な苦行方法を採用しており、それらの方法やバラモン教の神々が仏教が民衆に広まる際に取り込まれていったといいます。また司祭階級を否定した釈迦ですが、釈迦入滅後、一度は地に落ちた司祭階級が復権を果たし組織化していった仏教が各地へ伝わっていったといいます。

ですから、日本で袈裟を着て説法をしている僧侶は、実は仏教ではなくバラモン教の僧侶なのだというのです(爆)。本当の仏教は菩提樹で「悟り」を得てから、衆生に教えた内容がそうであり、それが大乗仏教であり、その精華が「法華経」なのだというわけです。

密教あり、大乗あり、上座ありの仏教の複雑さがスッキリする話ですね。

話が少し横道にそれましたが、スジャータは仏典では高貴な出の美しい女性として描かれていますが、実は被征服民である奴隷階級のドラヴィダ人であったといいます。バラモン教では女性は「救われない者」「悪魔」という位置付けなので、賎民のしかも女性から施しを受け、それを食したことはバラモン教徒の釈迦として考えれば、実に驚愕的な行動であったのです。

でも、釈迦はそれを食した。。。。。何故か?
それはスジャータの瞳の奥に釈迦は「仏性」を見たからです。

一方、上座仏教(小乗仏教)では、釈迦は「静瞑想」を通しては三昧(サマディ)の境地には至るが、それはあくまで脳内幻覚状態であって、この外界では元に戻ってしまい、決して「悟り」を得られなかったといいます。しかし、「動瞑想」(プッパサマディ)をすることで「悟り」を得ることができたので、釈迦が晩年指導したのは、この「動瞑想」であると強く主張しています。

例えば、歩く際に「右足」、「上げ」、「前へ」と動作を大まかに細分化し、その各々に「サティ」という意識の気付き(認識)を入れ続けることで、やがてこのサティが高速化していき、顕在意識の処理はこのサティで完全に占められてしまいます。しかし不思議なことに足は前へ前へと歩み続けるのです。このことから、決して顕在意識が足を前へ出す指示をしていないことがこの「動瞑想」で判明するのです。これはハントの実験結果「顕在意識は無意識の行った指示の確認をしているに過ぎない」とも一致します。

どちらの説の内容にも頷いてしまいます(汗)。

いったい、どっちが正しいのねん

多分、どちらも正しいのでしょう。ただ、僧侶集団、司祭階級である上座仏教の方は、大衆信徒に誰でも「仏性」があるとなると自分たちが困るので、スジャータによる悟りの件は割愛し、司祭階級の特権を温存する教義を構築していったのでしょう。

でも、ACIMならどちらも肯定しています。
先の釈迦の件は、簡単に書くとこのようになります。

●無意識には「仏性」(=自分が神であることを知る記憶)が存する領域がある
●無意識こそが【本当の自分】


つまり、この2つを合わせると、、、、、

●無意識こそが【本当の自分】で、そのある領域には「仏性」が存する

となりますね。残念ながら「外界=内面」という変換人型ゲシュタルトまでには踏み込んでいませんが、かなりACIMの教えに近いです。しかし、ACIMには仏教でいう「色即是空」や、ヴァッカド・ギータの「宇宙的幻術(マーヤ)」を足してさらに深めたような、「外界=内面」という変換人型ゲシュタルトまで兼ね備えています。

まさに、ACIM、最強です(爆)

素晴しい♪ A.C.I.M


(ヒデキ感激♪のフィンランド産Y.M.C.A)
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コメント

コメント(1)
No subject
彼女をお姫様扱いしてやれ
そうすれば 自分がお姫様になれる
(エイブラハム・ヤッズ★
そうかもしれません><。。。
このおがげでレディーファストの国には先進国が多いのかぁ~
何かしてあげなきゃっ守ってあげなきゃっと出会う人半分は女性だから
反射的にそう行動していれば鏡の法則でと・・・。
逆に願望は頂く方なので鏡の法則では!?
自分自身は箱(神)なので周波数さえ神の周波数と合えば力を使えるのかな?でもそれはその方がやり易いだけで実は後者の方もOK。
そんな気がします♪自分に他者との境があるなら神の貴方にとって自己も他者であり、自我も他者、では神の貴方が自己に与えればいいんですねきっと^3^~♪

民主党の鳩山さんにもスキャンダルですね~。
あの兄弟は相当な資産家でしょうから
数千万の金額で悪事に染めるか微妙なのですが・・・。
どうなんでしょう!?

通りすがりのもの

2009/07/01 19:53 URL 編集返信
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